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仕事できない障害

専門用語でいうところの"発達障害"のひとが書いています。

自然の摂理

江戸時代末期の日本の人口は約3000万人と言われています。

それから150年して4倍の1億2000万人にまで膨れ上がりました。

そして今日、人口低下が始まっています。

 

自然の摂理によって、元に戻ろうとするんですね。

この国土面積からすれば、1億2000万人は大きすぎたのです。

 

野山にネズミが繁殖しすぎると食べ物が少なくなり、死滅し、また元の状態になるのと同じような気がします。

 

それと同じことですが、やはりなにか自然の摂理なるものが働くんだと思います。

 

離婚している親の子供は、やはり離婚するし、

虐待をしている親は子供時代虐待を経験しているのです。

 

なにか大きな力が働いて、元に戻そうとするんです。

 

幸せになろうと努力しても、また元に戻ってしまうのです。

 

施設から就職しても、また施設に戻ってきてしまうのも

施設が好きだから恋しいからではなく、

’お前はこのレベルなんだ’

と引き戻されてしまうんだと思います。

 

 

 

 

発達障害の人に出会った

野暮用でちょっとでかけてきました

そこで発達障害の人に会い、話を聞いてきました

まだ若いひとでした

 

この人、まっすぐなんだろうな

 

そんな印象でした

あっちでぶつかり、こっちでぶつかりしてきた自分とは違っていました

本当にまっすぐなんですよね

 

まだ若いんで、「俺、超スゲーよ、天才じゃね?」みたいな勘違い部分はありましたが

 

自分も前はそうだったので、偉そうに批判はできないですけれどね

 

周囲の支えと理解

働き始めてから、はや1年ほど

社会に出ると、自分の順位みたいのがわかるんです

圧倒的に下のほうだということをしみじみ感じています

 

発達障害は、周囲の支えと理解がないと生きていけないなと痛感しています

 

「俺様どうよ?スゲーだろ」という人

ときどきいますけれどね

 

社会性がないというか、社会の仕組みをわかっていないんですよ

自分もそういう時期がありました

 

発達障害に理解がないのは許せん!!!みたいなブログみますけれど

そんなに知られてないですよ

それに障害に興味持っている人なんてごくごく少数です

 

 

障害者同士いることは回復につながるのか

私は病院のデイケアというものに行ったことがありません

病院にデイケアがなかったからです

それにデイケア自体を知りませんでした

 

発達障害と知らずに、ひとり悪戦苦闘してバイトをしていました

 

それが功を奏したのか、デイケアというぬるま湯につからずに済みました

 

今考えているのですが、障害者同士いることは回復につながるのでしょうか

デイケアや就労移行を使って、余計に悪くなった事例を聞きます

 

やはり障害者同士や病気の人同士でいたのでは、回復にはつながらないのではないでしょうか

 

障害者ばかりのところに健常者がいると就労移行のスタッフのように数年でやめてしまいます

 

私自身も障害者ばかりのところにいると疲れます

 

それに社会では障害者ばかりではなく、健常者のいるところのほうが圧倒的に多いのです

 

この人たちに合わせて生きていくのが、いいのではないでしょうか

 

また弱者支援か

今日は用があり、役所を訪れました。

そうしたら、就職困難者向けのサービスが出来上がっていました。

 

またか

 

それ、ニート支援でさんざん叩かれたでしょ。

今度もまたやるんですか?

職員の職場づくりとしか言いようのない”弱者支援”

 

相談者が椅子に座っていても誰も対応せずにパソコン画面に食い入っている様子。

 

おいおい、人間相手の商売なのか、パソコン相手の商売なのか

どっちなんだい?

 

これが弱者支援の実態なのかなと思うと、憂鬱になり役所での用事も上の空になってしまいました。その後の帰宅途中でもそうでした。

 

ひょっとすると周りが変な奴に囲まれているのではないか

題名の通り、障害者は変な奴に囲まれながら生活しているのではないでしょうか。

 

変な親

変な職員

変な先生

変な役所の人

変な障害者

などなど

 

特別支援校も問題ある教師の姥捨て山として機能していると聞きますし、

多くの会社では障害者雇用は一人に任せっきりであるし

誰も障害者にかかわりたくはないので押し付け合い(押し付け愛)が始まるんでしょうね。

その結果として、変な連中に囲まれながらの生活を送らざるを得ないのではないでしょうか。